光琳の櫛
芝木好子の小説「光琳の櫛」のモデルとなった櫛が、京都にふたたび!
大山崎山荘は大正~昭和にかけて建てられた、静かで風情のある大変ロマンティックな美術館でした。
木目の美しい山荘の中で見る尾形光琳や酒井抱一の櫛たちはそれはもう格別なものです。美術展へ行く数日前に小説「光琳の櫛」を読み直し、蒐集家の執念にとらわれた状態で櫛たちに会えたのはやはり正解!小説に登場する櫛があらわれるたびに、小説の中でのこの櫛を手に入れるための粋なやりとりを思い出してニヤリとしていました。
狐の嫁入りの櫛、ぎやまんの櫛、抱一の丸みを帯びた櫛、抱一と光琳のつながり、美しい小説の世界と、華やかな櫛。。もちろん小説を読んでいない方でも工芸品として櫛の美しさを味わうことはできるのでしょうが、おすすめはあの小説に込められた、狂おしいほどの情念と一緒に、大正ロマンな美術館で止まったような時を過ごすという、他に代えがたいぜいたくな時間をぜひ。
東京の「澤乃井櫛かんざし美術館」へも、きっと、いつか。そのときもまた光琳の櫛を読み返して行きます。きっと、いつか。できれば近いうちに。
彼が愛したケーキ職人
イスラエルの映画、見たことありますか?ほとんどの方が、無いのではないでしょうか。もちろん私も初めてです。イスラエルの文化についてあまりにも無知だったと実感しています。何しろ世界史の授業で少し触れる、宗教的に戦争の多い国、ぐらいの知識しか無かったのですから。
毎週金曜日の日没とともに「安息日」は始まります。土曜日の日没までの間、全ての労働は制限され、ろうそくを灯し、家族で食卓を囲み、祈りを捧げ、「語らわなければならない」日。あたたかな家族がある人間にとってはそれは大切な時間であり、そのための準備(日没までにごちそうを用意するなど)は毎週ちょっと大変で、そして家族のない人間、特に愛する人を失ったばかりの人たちには、窓から見える他の家族のあたたかな景色は切なく映ります。
そしてユダヤ教には「コシェル」という食事規定があり、飲食店はこの規定に則っていることを認可されて営業が成り立ちます。「ユダヤ教以外の人間はオーブンを使ってはならない」なんて規定があり、ヴェルリンから来たケーキ職人はオーブンを触らないようにクッキーやケーキを焼かねばなりません。それでも「ドイツ人を雇っているなんて知られたら客が来なくなるぞ」というセリフや、映画の途中では認可を実際に取り消されるなど、イスラエルという国がどれほど宗教を大切にしているかがよくわかりました。
しかし主人公はそれをやや疎ましく感じていて、宗教よりもここにいる人間こそが大切なのだという描かれ方をしています。
ややこしいことを書いてしまいましたが、映画はそういった宗教的な日常をさらりと取り込んだ、ほの切ないラブストーリーです。
突然事故で亡くなった夫には出張先のヴェルリンに恋人がいて、その恋人はヴェルリンのケーキ職人の男(!)で、彼は喪失感から恋人を探すためにエルサレムへ来たのです。そして主人公の開くカフェで働くことになり、彼の焼くクッキーやケーキは評判になっていきます。
しかしそのクッキーは、いつも夫が出張で買ってきたクッキーと同じ味がする…と主人公は徐々に気づいていくけれど、そのクッキーを焼く彼へ惹かれてゆく恋心も止められない。。誰も幸せになれない見事な三角関係です。ドイツとイスラエルという宗教色を前面に出すわけではないけれど、宗教が日常に絡んでなおややこしいことになってゆく。その描き方がとても丁寧で、嫌味のないバランス感覚が素晴らしい。
国籍や宗教や性別という、人間の生み出す障害に心を揺さぶられる映画でした。
イスラエルの映画をもっと見てみたいと思っています。探してみよう。
家へ帰ろう
これは良かった!
かつてポーランドでユダヤ人の迫害にあい、死の行進から逃げてどうにか生き延びアルゼンチンへたどり着いた老人が、自分を施設に入れようとしている家族から逃れ、再び故郷のポーランドへ自分を救ってくれた親友に会いに行く。
人生を振り返り、また前へ進むための旅。
旅の途中での出会い、ほのかなユーモアと色気。
ヨーロッパの映画を見ると人々が年齢に関わらず自由に生きているのが本当に素敵だといつも思う。歴史と向き合い、現実と向き合い、恋をする気持ちに蓋をすることも恥じることもせず自分の意志で行動する。それは日本だとなかなかに難しい時がある。
だからこそ映画を見る。
心から出会えて良かったと言える映画でした。
お父さんと伊藤さん
father-mrito-movie.com
リリーフランキー、上野樹里、藤竜也 というキャスト、もう絶対にこれは観に行こうと決めていましたが、インフルエンザで寝込んでいて伊勢進富座での公開を見逃してしまいました。。悔しい
しかし公式サイトによると名古屋今池のキノシタホールで2/18~3/10公開となってるじゃないですか!良かった。これなら見に行けそうです。
だれかの木琴
少し期間があいてしまいました。映画熱は冷めることがなく、進富座へ月数回通っています。ちょっと忙しくてアウトプットが追い付いていません。
さて。だれかの木琴。
「サスペンス」と書かれていたため怖いの苦手だし観ようかやめようか迷ったんですが、常盤貴子が池松壮亮のストーカーになってゆくなんて気になるじゃないですか。
観た感想としては、「これはサスペンスなのか?」
むしろ人妻の一方的な内面を描いた恋愛映画でした。「恋愛映画」と言葉にしてしまうとロマンチックな響きが含まれますが、そういう甘美さは無くて。心の隙間の拠り所を探すようにちょっとストーカーめいた行動をしてしまった、暗く、虚しい、孤独な、常盤貴子の狂気が美しい。ただ常盤貴子が座って池松壮亮に髪を切ってもらう、それだけのシーンが美しい。
ミニシアターでないと出会えなかった映画です。